仲が良くても、程よい距離感が大切。
(写真はイメージです)
どうも、おハナマルです。
最近、『毒親』についてのTwitterやブログを読んで、私と親との関係について感じたことをまとめてみました。
目次
1、「私の家族は仲が良い」という思いは…
私の家族(実家)は仲が良い。
そう遠くないので、ちょくちょく泊まりにいくし、会えば会話は止まらない。
思い返せば、私には親に対する『反抗期』がなかった。
なぜなら、妹が荒れてたから。
ここで私がグレたら、家族が崩壊する
変にブレーキがかかっていた。
おかげで、精神的に親から自立し損なった。
それから5年くらいたち、私は結婚した。
まだ、親との関係は依存的。
私が距離感を測れていなかった。
その頃には妹も落ち着いていて、今と変わらない『仲良し家族』になっていた。
だけど、その思いが逆に自分を苦しめてもいた。
言葉にするのは難しいのだけど、『ベッタリ仲良しの楽しい実家』と、『育児などで意見が噛み合わない実家』との板挟み。
妙な罪悪感と違和感。
「このままではダメだ」
直感でそう思っていた。
2、『物理的な距離』と『心理的な距離』
長男の進学を前に、それまで実家から歩ける距離に住んでいた私たちは、車で4、50分かかる距離へ引越しをした。
親に反対されるのは嫌だから、家を買ってからの報告。
驚かれたし、きっと寂しかったには違いない。だけど、この決断は正しかったと思う。
私の中では、物理的に距離を取ったことで、逆に依存とは離れ、心理的には距離を良い位置に持っていくことができた。
※この決断には、たびたびお話している『 7つの習慣』によるものが大きい。『主体的である』というものだ。
私たちは自分の身に起こったことで傷つくのではない。
その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。
(完訳7つの習慣 人格主義の回復
より)
※詳しくはこちら↓
3、みんな違って、みんないい
私の家族は仲が良い。
それは幸せなことだ。
だけど、近ければ良いというものではないことを学んだ。
近すぎた頃、初めての育児をしながら、親のちょっとした言葉に傷ついていた。
手を貸してくれないことへの苛立ちもあった。
今はほどよい距離感。
育児に関して口を出されても、毎日言われるわけではないし、「ふぅん、そういう意見もあるか」と素直に聞ける。
手は貸してもらえないのが当たり前な距離なので、それも気にならない。
私の親が『毒親』かどうかなんてわからないが、これが私たちのベストな距離だ、と私は勝手に思ってる。
孫に関してもある程度ドライな親だから、会いに行くのも今の頻度でちょうど良いだろう。
『毒親』とか『自分が悪い』は置いておいて、きっと、みんなそれぞれ家族との距離は違って、みんなそれぞれ、それでいいのだと思う。
では。
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